昨日の失敗

「今日の夕飯は巻きカツだから、一緒に巻こう」と私が言って
昨日、夫が洗い物をしてくれていたので、その間にと私が巻きカツを巻いていて、どんどんと料理を進める中で、味噌汁を作り終わって手の空いた夫に、あれこれと雑用を頼んでいたら、ゴミ捨てから帰ってきて、夫がしょんぼりしていた。
TVで野球もやっていたので、野球が見たかった?と聞いたが、首を降る。
なんかいろいろ頼みすぎた?と聞くが、そうじゃない、と言う。
じゃあなに、どうしたの、と聞くと、一緒にカツを巻くはずだったのに、とうなだれた。
そんなに楽しみにしているとは全く思っていなかったので、
つい、効率を優先して、仕事のようにさばいてしまったのだった。


年末、夫と、「ぐるりのこと」を見ていて、
夫であるリリー・フランキーが、妻に「決めないで」と言うシーンで、
妻は「だって、あなたがちゃんとしないから、こっちで決めてやっていかないと何も進められないじゃない」というようなことを言うのだが、私も全く同じ意見で見ていたのを、夫は夫側の意見で全く同調していた、ということがあった。
夫は、今、自分がそういう気分かどうかを大事にする。
私は、脳というものは、そういう気分になるのを待っていてもならないらしいので、自分にそういう気分に「させる」ことを行うようにしている。
私は私が仕事でやれることを家事にも転用して効率良く回していこうとするが、
夫はむしろ、家庭内を仕事みたいに回していきたくない。
私は、家庭というのはある程度いろいろと馴化しないと日々が送れないと思っているが、
夫は、恋愛でいたいのだ、と年末、私に言った。


夫に、お弁当のおかずについて、そういえば、リクエストしないよね、と聞いた事がある。
してもいいんだよ、と言うと、夫は、「お弁当を開ける時の楽しみがなくなるから、できるだけ知らないでいたい」と言った。そして夫はなんと「お弁当は、自分にとってプレゼントみたいなものだから」と言ってのけたのだった。
私は、なんという恋愛脳か、と、愕然とした。しかも数年前とかの話ではない。先月の話だ。


リクエストをしてもらうのは、献立を考えなくていいので、助かる。
しかし、プレゼントだと思っているなら、そこを曲げてまで助けてもらうことでもない。
私にプレゼントの気持ちがなくても、夫がプレゼントだと思えるなら、それでいい。
だけど、冷蔵庫の中身をあれこれ思い返して先を見通して計画&実行している私に比べ、夫のそれは、なんというか、ズルくないか、と思った。
そのズルさを、義母は「忌々しい」と表現する。
「忌々しいけど、やっていくしかない。男と女はもうぜんぜん違う生き物だから。子育ての練習と思うしかない」と正月にも言われた。


恋愛でいたいという夫に、私は、私は恋愛ではいられないと言った(もうすでに恋愛かどうかもよくわからないとも言った)。
それでは何もまわっていかないし、これから子供も生まれるし、と言う私に、
夫は、それでもいいと言った。
それでもいいから、自分が恋愛をしている事を、変えようとしないで欲しいと言った。
結婚したんだからこうでなくちゃいけない、とか、子供ができたからこうでなくちゃいけない、とか、恋愛でいちゃいけない、とか、いろいろと役割にはまりこもうとしたら、ひずみが生じたのだそうだ。


年末年始にかけて、何人かの人と別々に、「男に理屈を言ったところで、自分の正当性が認められてすっきりするだけで、そこからは何も生まれない上、男の心は離れていく」「家庭内において、男は全く合理的な考え方ができない不思議」について話しあった。
「でも、男女は違うからこそ、うまくまわればすごくいい状態を回転させられる気がする」と我々は言い合ったのだった。


自分の心に一番近い言葉を選ぶことが、誠実さだと思っていて、近しい人であればあるほど心は共有すべきだと思っていて、「うまくやる」ことは、相手を騙すようでよろしくないのでは、と思っていた時期がある。
しかし本当に重要なことは、私の心をそっくりわかってもらうことではなく、私がこの関係を良好に保ちたいと思っていることだ。
言いたい事のうちの8割は我慢して、本当に困ることだけ伝えなくてはいけないし、
(どうせ全部言ったって覚えてもらえない)(小言をいつも言われているという印象しか残らない)
頼み事があるなら、自尊心をくすぐるように、そこに選択肢があるといい。
選択肢があれば、「自分がやりたいこと」に錯覚するからだ。
自分がやりたくてやったことならば、仕事になりにくいし、仕事だとしても、納得しやすい。
それらは、「うまいこと」だけれど、効率と気持ちの狭間の、いい着地点なんじゃないだろうか。
手品は「嘘」ではないのだ。


効率は確かに大事だけれど、それが一義になるのは危険だ。
確かに洗い物をしている間に巻いてしまえば食事時間にカツがうまいこと揚がっていることになるが、多少それが押したところで、カツを一緒に巻きたかった気持ちを尊重してあげることが、今日の夕飯、というイベントにおいては一番大切だった。
私の着地点は「夕飯を作り上げること」で夫もそうなのだと思っていたが、夫にとっては「一緒にカツを巻くこと」だったのだ。
そしてそもそも私にとっては一食を作り上げるというルーチンワークが、夫にとってはひとつひとつ、イベントなのだという認識の違い。
子供には同じことをしないようにしようと思えるいい教訓になった。


しかしそれでも消費税ほどの忌々しい気持ち(巻いてる時に言えよ)があったからだろうか、謝罪はしなかった。


けれど食卓にのぼった巻きカツと、夫の大根の味噌汁と、「昨日何食べた?」に載っていた梅ワサビマヨソースがけのブロッコリーが美味しくて、夫も私もすっかりご機嫌になったのだった。